占領下奇譚 · 第五話「松川の犬釘」

昭和二十四年八月下旬、福島市内

田島重雄は、福島で骨董屋を営んでいた。

骨董屋というのは表向きで、その実態は地元の情報屋だった。旧陸軍の軍属上がりで、終戦後は占領軍に情報を売り、今はどの側の人間とも付かずに中立を保っている。神崎が第二話の潜入工作で一度だけ使ったルートだった。

「荒木巌という男を探している」と、神崎は店の奥で告げた。

田島は茶を啜りながら、表情を変えなかった。

「工兵上がりの」

「そうだ」

「……知っとる」

それだけだった。次の日の昼に、荒木の居場所が分かった。

*  *  *

荒木巌は、松川から三里ほど離れた集落で、農機具の修理をして暮らしていた。

五十代の半ばだろうか。日焼けした顔に皺が深く刻まれていた。目が死んでいた。表情が死んでいるのではなく、目の奥の何かが、もう動かなくなっているような目だった。

(この目を、知っている)

戦場から帰ってきた男の目だ。神崎は鏡で自分の目を見るたびに、同じことを思った。

荒木は農小屋の前で農機具を磨いていた。神崎が近づいても、手を止めなかった。

「荒木さん」

返事はなかった。

神崎は荒木の隣に立ち、煙草に火をつけた。しばらく、二人とも黙っていた。

*  *  *

「誰かに頼まれたのか」

神崎は静かに言った。

煙草の煙が、夏の終わりの空気に溶けた。

荒木の手が、一瞬だけ止まった。そしてまた動き始めた。

沈黙が続いた。

遠くで犬が吠えた。農小屋の影が、夕方に向かって伸び始めていた。

長い沈黙の後——

「……ああ」

荒木は、それだけ言った。

神崎は煙草を吸った。次の問いを出すまでに、少し時間をかけた。

「誰に」

荒木は答えなかった。

農機具を磨く布の音だけが続いた。

しかし、神崎には分かった。

荒木が答えないこと、そして荒木がどういう男であるかを考えれば——旧工兵の、戦争で目が死んだ男が、誰かの命令であれば動くような、そういう系統の人間が——答えは、ひとつに絞れた。

(旧軍の残党だ。しかし、旧軍の残党を動かせる存在がいる)

神崎は煙草を地面に落とし、踏み消した。

「……邪魔をした」

それだけ言って、踵を返した。

背後で、荒木が農機具を磨く音が続いていた。

神崎は振り返らなかった。

― 続く ―

次章「五 証拠接収」——翌日、砂利道をGHQのジープが来た。降りたのはムーア大佐と——杉田だった。杉田は証拠袋をトランクに積んだ。三十メートルの砂利道越しに、二人の目が合った。