占領下奇譚 · 第五話「松川の犬釘」

昭和二十四年八月下旬、福島・松川

脱線現場は、まだ立入禁止だった。

赤と白のロープが、線路沿いに張られていた。警察の鑑識がひとりと、地元の巡査がひとり。昼前の陽射しの中で、二人とも汗を拭きながら立っていた。

神崎は百メートルほど手前で自転車を降り、草むらを回り込んだ。

旧軍の斥候訓練が、こういう時に生きた。

*  *  *

ロープをくぐったのは、巡査が煙草を吸いに小屋の陰に回った隙だった。

線路の上に立った。

枕木が数本、横にずれていた。レールの継ぎ目の部分が、大きく歪んでいる。犬釘——枕木にレールを固定する釘——が、数本抜かれていた。

神崎は折り畳み式のルーペを取り出した。

満州時代から持ち続けた、旧陸軍の情報将校用ルーペだった。倍率は八倍。傷一本の形まで見える。

犬釘が抜かれた跡の穴の縁を、丹念に観察した。

(工具の跡だ)

穴の内壁に、刃物で引っかいたような溝が残っていた。犬釘を引き抜く際に使われる工具——バールの一種——が、こすれた跡だった。

神崎は視線を動かさないまま、その溝の形を頭の中に収めた。

(これは)

幅が狭い。普通のバールより、刃先が細い。

旧陸軍工兵が使う、折り畳み式の犬釘起こし。携帯性を重視して刃先を薄く作った、民間にはない工具だった。神崎は満州の鉄道破壊訓練でその工具を何度も見た。手に取ったこともある。

一般人には分からない。警察の鑑識にも、おそらく分からない。

(旧軍の工兵だ)

ルーペを閉じ、神崎は立ち上がった。

線路の北側を見た。田んぼが広がり、遠くに山が見えた。夏の空が高い。風が少しあった。

三名の乗務員が、ここで死んだ。

神崎はゴールデンバットに火をつけた。

煙草を吸いながら、しばらく線路の上に立っていた。

(誰が、これをやったのか)

その問いに、神崎はすでに半分の答えを持っていた。そして、その答えを確かめることが、ここに来た理由だった。

遠くで、巡査が咳をした。

神崎は静かにロープの外へ戻った。

― 続く ―

次章「四 荒木巌」——福島市内の骨董屋を通じて、旧工兵の男の居場所を探った。農小屋の前で農機具を磨く、目が死んだ男。「誰かに頼まれたのか」——長い沈黙の後、荒木は「ああ」とだけ言った。