「丹羽庄司ら二十名が逮捕」という見出しを、神崎は朝の新聞で読んだ。
国鉄労組員、共産党員が含まれる、と記事は続いた。松川事件の「首謀者」として身柄を確保した、と。
(丹羽庄司)
その名前が、活字の中に紛れ込んでいた。神崎は新聞を二度折り畳み、上着の内ポケットにしまった。
杉田には、何も言わなかった。
これは任務ではない。
上野駅の改札を抜けたのは、翌朝の七時だった。
ホームに立つと、石炭の匂いと蒸気の白さが、神崎の顔に当たった。東北本線の長距離列車が、黒い車体を連ねてそこにあった。
第二話で乗った汽車と、おそらく同じ路線だった。
あの時は杉田の指示で動いた。任務書があった。報告先があった。今回は何もない。自分の足と、自分の目と、自分が積み上げてきた記憶だけで動く。
(初めてだ)
神崎はそう思った。
中野学校を出てから、旧陸軍の情報将校として満州に渡り、終戦後はCICに拾われた。十年以上、誰かの指示で動いてきた。自分の意志で目的地を決めたことが、これほど少ないとは思っていなかった。
三等車に乗り込み、窓際の席についた。
煙草に火をつけた。
列車が動き出した。
東京の街が後退していく。焼け跡の黒さが、少しずつ田園の緑に変わっていった。
神崎は窓の外を見ながら、丹羽のことを考えた。
あの時、報告書から名前を外したのは、なぜだったか。
(守りたかったからではない)
そう自分に言い聞かせたことがある。ただ情報の精度として不確かな部分があった、と。
しかし今、北へ走る列車の中で、神崎はその言い訳が薄いことを知っていた。
(守りたかったのだ)
それだけのことだった。
そしてその結果として、丹羽は今、「松川事件の首謀者」として留置所にいる。
煙草の火が、指先近くまで縮んでいた。
神崎は窓の外を見たまま、何も言わなかった。
夏の田園が、ゆっくりと北へ流れていった。