占領下奇譚 · 第二話「赤い春」

昭和二十四年六月、福島

六月の初め、国鉄が正式に発表した。

九万五千人の人員整理。

その数字が新聞の一面に載った朝、福島の会館は人で溢れた。平日の昼間だというのに、組合員が次々と集まってきた。誰もが顔色を失っていた。家族の顔が頭にある顔だった。

神崎は後ろの壁に立って、その光景を見た。

怒号が上がった。机を叩く音がした。泣いている若い男もいた。

丹羽は壇上に立ち、両手を広げて場を静めようとしていた。

「聞いてくれ」

声が通った。

「怒りは正しい。俺たちが整理される理由はない。しかしここで暴れても、何も変わらない。俺たちの力は、まとまることにある。バラバラに走れば、向こうの思う壺だ」

静まりかけた空気に、また別の誰かが怒鳴った。「黙ってられるか!」

「黙れと言っていない」丹羽は落ち着いた声で言った。「俺は、どう戦うかを考えろと言っている」

*  *  *

その日の夕方、神崎は川沿いを歩いていた。

後ろから足音がした。振り返ると、丹羽だった。

「一緒に歩いていいか」

断らなかった。

二人は川沿いの道を並んで歩いた。夕日が川面を赤く染めていた。水の匂いがした。

「あんたが東京に呼び戻される前に、話しておきたかった」

「呼び戻されると、なぜ分かりますか」

「勘だ」丹羽は言った。「人員整理の話が出た。用は済んだだろう」

神崎は答えなかった。

「俺は分かってる」丹羽は続けた。「あんたが何者かは、最初から分かってた。今更どうでもいい」

「どうでもいい、ということはないでしょう」

「ある」丹羽は静かに言った。「あんたは俺の言ったことを、ちゃんと聞いていた。そういう人間に、俺は悪い感情を持てない」

川面に鳥が一羽降りた。水を蹴り、また飛び立った。

「あんたのリストに、俺が載るかもしれない」

「……かもしれません」

「構わない」

「構わないはずがない」

丹羽は立ち止まり、川の向こうを見た。

「構わないとは言ったが、怖くないとは言っていない」少し間があった。「ただ——怖くても、ここにいる。それだけだ」

神崎は左手を握った。薬指の先が、ない場所を。

(この男は、正しい人間だ)

正しい人間が、誰かの書いたリストによって、その正しさのために踏みにじられるかもしれない。制度というものは、正しさを保護しない。むしろ正しさは、制度の前では脆かった。

「東京から、連絡できますか」神崎は言った。

「うちに手紙を送ってくれれば」丹羽は言った。「読むかどうかは約束できないが」

それだけ言って、丹羽は来た道を戻った。

神崎は川の前に一人残った。夕日が沈み、川の赤が消えていった。

東京から呼び出しの電報が来たのは、その三日後だった。

― 続く ―
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