占領下奇譚 · 第三話「轟音の七月」

昭和二十四年七月六日、有楽町

翌日の昼前、有楽町のコロナに杉田がいた。

神崎が入ると、杉田は窓際の定位置から手を上げた。今日は制服ではなく、薄いグレーのスーツを着ていた。夏の恰好だった。

「ご苦労様でした」

杉田は言った。テーブルの上に珈琲がすでに二つ置いてあった。

「江川総裁の件」と神崎は座りながら言った。「調査は続きますか」

「それは警察の仕事だ」

杉田は珈琲を一口飲んだ。

「ムーア大佐は何と」

「問題ない、と仰っていた」

神崎は珈琲に手をつけなかった。「問題ない」

「そう言っていた」

「そうですか」

*  *  *

窓の外を都電が通り過ぎた。

二人の間に、しばらく沈黙があった。

その沈黙が、一つの答えだった。

何も問わない、何も語らない、という互いの了解が、その沈黙の中に静かに完成していた。神崎は杉田の目を見た。杉田は窓の外を見ていた。

(この男は知っている)

何を知っているかを知っている。そして何を知らないふりをするかも、知っている。

「報告書は昨日、送りました」神崎は言った。

「受け取りました」

「確認はされましたか」

「した」

「内容について、何か」

「問題なかった」

杉田は振り返り、神崎を見た。微笑んでいた。いつもの、温度のない微笑みだった。

「神崎さんの仕事は、いつも丁寧だ」

神崎は珈琲を一口だけ飲んだ。苦かった。それ以外の感想が、どこにも出てこなかった。

「次の任務が決まり次第、連絡する」

「わかりました」

神崎は立ち上がった。コートを持ち、帽子を被り直した。

「ご苦労様でした」

杉田は繰り返した。一度目と全く同じ声の高さで。

神崎は振り返らずに店を出た。

― 続く ―

次章「七 玉菊の予感」——七月半ば、玉菊で幸子が話した。三鷹で電車が暴走した。六人が死んだ。「また国鉄の話でしょ」——神崎は、線路の夢を見ると言った。