占領下奇譚 · 第三話「轟音の七月」

昭和二十四年七月五日、夜明け後

夜明けから一時間が経った頃、日本の警察が来た。

警部と思しき男が前に出て、現場に近づこうとした。ムーア大佐が一言言った。英語だった。警部は立ち止まった。通訳が何かを伝えた。警部はもう一歩も動かなくなった。

それだけで、この現場の力学が決まった。

神崎は離れた場所で煙草に火をつけた。

ムーア大佐が杉田に何かを言い、杉田がメモを取っていた。二人の会話は、神崎のいる場所まで届かなかった。しかし体の角度と、杉田が何度か頷く仕草で、大体は想像がついた。

(報告書の内容を、すり合わせている)

あるいは——すでにすり合わせが終わっていて、杉田はただ確認しているのかもしれなかった。

*  *  *

「自殺」という言葉が聞こえたのは、それから三十分後だった。

日本の警官の一人が、もう一人に何かを囁いた。神崎には「じさつ」という言葉の形が、口の動きから読めた。

その言葉は、空気の中に溶けるように広がっていった。現場の隅にいた記者らしい男が、手帳に何かを書いた。

誰かが決めた。

誰かが、すでに決めていた。

そしてその「誰か」が誰であるかを、神崎は知っていた。知っていて、煙草を吸い、この場所に立っていた。

(証言すれば、何が起きるか)

前夜の江川の行動を、神崎は全て手帳に記録していた。深夜十一時十五分に黒い自動車に乗り込んだという事実を。一人だったということを。その後の行方を——神崎が「追わなかった」という事実も含めて。

それを今、開けば。

(どこへ向かうか、分からない話になる)

ムーア大佐はまだ杉田と話していた。その表情は落ち着いていた。乱れた様子が、どこにもなかった。

神崎は煙草の煙を吐いた。

遠くで都電が走る音がした。東京の朝は始まっていた。

(黙って立っている)

それが今、自分にできる最も誠実なことか、それとも最も臆病なことか——神崎にはまだ、その区別がつかなかった。

― 続く ―

次章「五 報告書」——神保町のアパートに戻った神崎は、原稿用紙を前にした。書くべき内容は、二種類あった。前夜の江川の行動。そして、神崎が追わなかったという事実。