占領下奇譚 · 第三話「轟音の七月」

昭和二十四年六月下旬、東京

封筒は、郵便ではなく手渡しで届いた。

神保町のアパートに差出人不明の茶封筒が挟まれていたのは、六月二十二日の朝だった。裏に「CIC」の刻印すらない。ただ、神崎の名前だけが、万年筆で几帳面に書かれていた。

中身は一枚の命令書だった。

日本語で書かれていた。

*  *  *

任務:国鉄総裁・江川英太郎の護衛補助。

期間:六月二十五日より七月末日まで。

担当:特に指定なし。

*  *  *

神崎は煙草に火をつけ、もう一度読んだ。

「護衛補助」という文字に、引っかかりがあった。

護衛ならば、護衛の専門家がいる。GHQには憲兵がいる。日本の警察もある。CICが「非公式協力者」を動かす理由が、「護衛」にあるとは思えなかった。

(護衛、か)

煙草の煙を、神崎は細く吐いた。

もう一つ、気になることがあった。

命令書に杉田の名前がない。差出人の欄は空欄だった。これまでの任務は、すべて杉田を通じて来た。杉田が中間に立つことで、神崎は「仕事の輪郭」をある程度把握できた。杉田が何を話し、何を話さないか、その選別の仕方で、仕事の性質が見えた。

今回は、その杉田を飛ばして届いた。

(上から、直接来た)

三鷹事件での潜入工作からまだ半年も経っていない。福島から戻って以来、神崎に新しい任務は来ていなかった。六月下旬のこの命令書が、その沈黙を破った。

国鉄総裁。

九万五千人の解雇命令を出したあの男。玉菊で幸子から名前を聞いた、あの夜のことを思い出した。「国鉄が血を見る」という言葉が、今になって意味を持ち始めていた。

神崎は煙草を灰皿に押しつけ、窓の外を見た。

六月の東京は、蒸し暑かった。焼け跡に建ち並ぶバラックが陽炎の中にゆらいでいる。都電が通り過ぎ、薄い壁が小さく震えた。

(護衛とは何か)

その問いを持ったまま、神崎は次の煙草に火をつけた。

― 続く ―

次章「二 前夜」——七月四日夜、神崎は初めて江川英太郎を間近で見た。疲れ果てた目をした総裁が、深夜、秘書を連れずにホテルを出た。神崎は追えなかった——否、追わなかった。