占領下奇譚 · 第二話「赤い春」

昭和二十四年四月〜五月、福島

四月の末、神崎は丹羽庄司と初めて向かい合った。

集会の後、会館の裏手に回ると、男が一人で煙草を吸っていた。街灯の下に立つその男が丹羽だと、神崎はすぐに分かった。後ろ姿で何度も見ていた。

「求職中の人?」

丹羽が先に口を開いた。声は低く、穏やかだった。

「そうです。水戸の工場を辞めて」

「辞めた、じゃなくて?」

沈黙があった。

神崎は煙草を取り出した。「辞めさせられました」

「そうか」丹羽は神崎の方を向かなかった。煙草の煙を空に吐きながら、夜空を見ていた。「三月から何人も来てる。同じような人が。整理されて、行き場がない人たちが」

「組合に入れてもらえますか」

「それはいい」丹羽はようやく神崎を見た。

三十前の顔だった。やせているが目に力があった。疲れた顔ではなく、何かを見据えている顔だった。信念を持っている人間の顔を神崎は幾人か知っていたが、丹羽のそれは少し違った。信念というより——人間への注意、とでも言うような何かだった。

「あんた、強い人だね」

唐突に丹羽が言った。

「は?」

「強い、というか——慣れてる人だ。場に慣れてる」

神崎は答えなかった。

*  *  *

それから一週間が経った。

神崎は週に二度、集会に通った。組合員たちと昼飯を食い、話を聞いた。誰が急進派で誰が穏健か、誰が共産党の指示に忠実で誰がそうでないか——見えてきた。封筒のメモに書かれた名前のいくつかが、実際の顔と一致した。

しかし丹羽庄司は、神崎の近くにいつもいた。

偶然のように見えて、偶然ではない気がした。

五月の第一週、集会の後に丹羽が近づいてきた。

「飯でも食べようか」

断る理由がなかった。

駅前の大衆食堂で、二人は向かい合った。丹羽は何も聞かなかった。ただ飯を食いながら、ドッジラインの話をした。労働者が何のために生き、何のために働くかという話をした。神崎は聞いていた。

演説ではなかった。独り言に近かった。しかし言葉に芯があった。

食い終わって、店を出た。

路地の角で丹羽が立ち止まった。

「はっきり聞く」

丹羽は神崎を正面から見た。目が揺れていなかった。「あんた、俺たちのスパイだろう」

神崎は答えなかった。

「CICか、それとも特審か。どちらでもいいけど」

「…………」

「否定しなくていい」丹羽は言った。「顔が答えた」

夜の路地に風が通った。遠くで犬が一声鳴いた。

「なぜ黙っているんですか」と神崎は言った。「追い出さないんですか」

丹羽はしばらく神崎を見ていた。それから短く笑った。笑いに嘲りはなかった。

「あんたは人間の目をしている」

「……それだけですか」

「それで十分だ」

丹羽はそれだけ言って歩き始めた。振り返らなかった。

神崎は路地に立ったまま、しばらく動けなかった。

(人間の目)

左手の薬指の先が、夜風の中で冷えた。

― 続く ―
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